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旧関山隧道 2010

近代化産業遺産指定後

 

 

 

経済産業省により、平成20年、旧関山隧道は「近代化産業遺産」に認定された。

その後どうなっているのかを確認するために2010年8月に現地を再訪問した。

 

分岐点

 

旧道に通じる分岐点の前後区間が廃されたため、現道から分岐地点は見えなくなった。

上の画像で右が旧道、左はバリケードが施された上で橋が落とされている。

 

 

 

  

 

旧道は森林組合が管理しているため、自動車の通行さえ可能であるが

部分的に流水で深く掘れた部分や藪の深いところがあり、対悪路未装備の

車の場合は難儀を強いられる。SUVであっても重量車の場合は路肩の崩壊

している地点で転落しないよう十分な注意が必要である。

 

通行可能部は軽トラック1台分ほどの幅

 

 

 

  

 

久々に見る坑口は丸太の木組みで塞がれていた。

近代化産業遺産に指定しておきながら当局が大幅な景観の変更を

躊躇無く行ってしまっている。こういうところにこの制度の意味を

担当者が十分理解しないまま運用している実態が垣間見える。

 

 

近代化産業遺産プレート

 

どうせ説明板を付けるのであれば、もう少し情報を盛り込むべきであろう。

隧道の長さ、幅はおろか昭和に改修を受けたことさえ記されていない。

此処まで来てプレートを読む人がどれだけいるかも疑問ではあるが

とりあえず付けてみただけという手抜きのやっつけ仕事のように思える。

 

 

  

木組みの隙間

 

木組みの意味は経済産業省による安全対策のつもりか車両進入禁止の意味か、いまひとつ

よくわからない。だが、完全に封鎖されていなかったのは幸いである。この隧道は宮城側に鉄柵が

入っているため、こちら山形側を塞がれてしまうと内部が死空間になってしまう。わざと空けたか

どうかは不明だが人が通れる隙間があるのは貴重である。

 

 

   

 

  

坑内の状態

 

内部には相変わらず地下水の滴る音がこだましている。

 

 

  

 

巻き立てコンクリの厚さは2cm程

 

崩壊部分からこの隧道の造作が見えてくる。薄いコンクリの向こうはザクザクの礫(れき)。

素人目にもとても強固な構造とは思えない。脆弱といわれる二ツ小屋隧道の崩壊部分に

発見された木材さえここには埋め込まれていない。細かろうとも鉄筋の使用は可能だったはずである。

主要道であろうと手を尽くした工事をしないというのは、現在に比べ遙かに甘い法律、基準の中での

仕事であったことを考えると当時としては当たり前だったのかもしれない。売れさえすれば平気で

毒物を食品に入れる現在の中国製品の製造感覚に似たものだったといえば言い過ぎだろうか。

 

 

 

  

 

 

 

今回の経済産業省の産業遺産指定では、ほかにも三島通庸が関わった隧道、橋

がリストに加えられた。このサイトを立ち上げた10年程前には考えられなかったことである。

誰にも顧みられなかった遺構に光が当たるのは悪いことでは無いと思えるのだが、兵庫の

鐘ヶ坂隧道でもそうであったように、整備の名の下に大きく現状が変更されてしまうことには

抵抗感を持つ。場合によっては新素材でリニューアルが行われ、新築のように仕上げる

ことで「整備した」扱いになってしまう例もあるようだ。大事なのは表面の綺麗さではなく、

時代を経てこそ醸し出される美しさなのだということを担当者が理解しているかが鍵になる。

 

 

  

 

 

関山隧道  1884(完成)−1937(改修)−1968(廃止)

 

 

 

 

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