2003年頃に旧高瀬橋は河北町谷地の黒田組によって解体された。
あとには同様のアーチ型の新橋が架かり順当な代替わりを果たした。
かなり古びていた旧橋
一時的には新旧並行していた
旧橋の赤みがかった部分は鉄材
鉄材のところは後補の歩道部分を支える鋼柱である。これがなければ
新旧双方のアーチはより鮮明な対比を見せたはずであるが、それも一時のこと。
旧橋のイメージを取り入れた新高瀬橋
橋から見る遠景 離れて見る旧橋
間沢で有名な料亭「玉貴」は旧橋から見えており、「玉貴」からもまた
旧高瀬橋は見えていたに違いない。山菜料理を味わいながら眺める
寒河江川とそこに架かる優雅なアーチ。代替わりによりそれは新橋の
描く弧に置き換わったものの、旧橋同様永く川面にその姿を映すであろう。
旧高瀬橋 2003年頃解体
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