その三十 佐藤医院の私橋 (南陽市)

 

 

 

 

南陽市の名所、烏帽子山八幡宮に上るには幾つかのルートがあるが、そのうちの

ひとつの石段横に古くからの医院(現在は廃院)がある。「佐藤医院」と表札が出ているが

その威厳のある造りには、かつての医者の社会的地位が色濃く遺されている。

 

 

  

石段左手に医院の門がある

 

建物前に構える門には、それぞれ橋が渡されている。現在では川面は見えないが

水門の姿があるところから推察するに、竣功当初は水路になっていたものを後年、

蓋を架けて暗渠にしたものであろう。駐車場確保か、訪問者の安全のためかと思われる。

 

   

 

  

一部に破損も見られる

 

 

 

   

医院の豪壮な造りと東側の橋

 

東側の橋には、同じ南陽市の吉田橋に見られるように自然石を模した親柱が

設えられている。高欄には日本の伝統的な文様が施されている。

 

 

 

  

片方の高欄中央付近に何故か親柱状のものが添えられている

 

 

西側の橋には異なった意匠が用いられている。こちらは高畠町の幸橋に近いデザインとなっており

使用されている石材の質も似通っている。

 

 

石造りの門に彫刻が施されていた

 

 

西側の橋

 

これらの橋に似通っている吉田橋や幸橋が明治時代の建造であること、

医院がその時代以前からの旧家であること、また、医院前の石段を上がると

間もなく吉田橋の建造者である吉田善之助の弟子が同じく明治時代に作った

康寿橋が参道上に架かっていることなどから、これらの私橋もまた明治時代の

竣功であると推察される。私橋であり、小規模でもあることから文化財などには

リストアップはされていないが、医院の塀の造りも含め、様式、時代とも十分に

価値あるものではないかと思えるものである。

 

  

 

佐藤医院の私橋  推定:明治時代竣功

 

 

 

 

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