三十一.  旧上杉橋(小国町)

 

 

 

 

   

国道113号 上杉橋

 

 

国道113号線が間瀬川を跨ぐ上杉橋。武将の上杉家に由来するものではなく、下杉橋に対して

「上(かみ)」杉橋という命名である。路上から見る分には旧橋の存在は全くわからない。

 

 

 

旧橋は現行の橋に覆われるようにして、数m低い位置に存在する。

 

 

  

 

現行橋の下に潜り込んでいるようにも見えるが、当然のことながら現行橋を上部に被せて施工

したためにこの位置関係になったわけで、ちょうど東京の日本橋が後年高速道路の高架の下に

位置せざるを得なくなったのと類似した事情である。

 

 

  

西側の親柱は一本のみ現存

 

旧道と共に存在するとは云っても、現状は全くの廃橋であり損壊も著しい。

高欄はほとんどコンクリート被覆が剥けてしまい、鉄筋が見えている状態となっている。

 

 

    

 

大きく傾いた親柱に目を向けると、大正の元号が記入された銘標が残っていた。

県内に明治の橋は幾つか残されているが、それらは全てアーチ型の石橋であり

文化財的要素から敢えて残されておる場合がほとんどである。コンクリート造りの

大正製の橋はかつては各地にあったはずだが構造的にも珍しいものではなく、耐用

年数もとうに過ぎてしまっているため残存する例は少なく、把握している範囲では大正橋

くらいである。付近にあり、対になっている筈の旧下杉橋は昭和の建造となっている。

 

 

橋上の状態

 

旧下杉橋の竣功年が昭和七年になっており、この橋と八年程度の差があるのは、

単に木造からコンクリートに切り替えるタイミングの違いであろう。

 

    

高欄に仕込まれた鉄パイプ

 

高欄のコンクリートの柱に混じって、鉄パイプが見られるがこのパイプが

大正時代からのものであるかは疑問である。風雨に晒されて80余年、

当時の鉄材が腐食を免れて形を残していることが考えにくいからである。

県外に続く要所の国道の橋でもあり、補強のための後補の可能性がある。

 

 

    

既に橋上には樹木が生成している

 

 

                 

 

東側二柱は揃っているが、橋名と思われる銘標は故意と思われる破壊を受けていた。

現橋の命名から察するに「上杉橋」の記載があったものと思われる。

 

 

    

 

    

橋の下にある木柱

 

橋の下部を覗くと朽ちた木材が見られた。数本の柱が橋の幅に合わせて並んでいた様子が窺え、

下部からの補強跡とも考えられる。現在は各部材とも橋に直接接触してはいない。

 

 

  

 

 

 

この橋が現役だった頃は、前近代的な道と言っていい片洞門を通って交通が往来していた。

山地と渓谷を縫ってゆく行程は、現在より距離も時間も遙かに長いものであっただろう。

更に冬期には交通はほぼ不能となり、12〜5月頃まで、小国は陸の孤島となって耐えていた。

 

 

旧上杉橋   大正13年竣功

 

 

 

 

 

現上杉橋が完成する昭和48年までは現役だったということになり、実働は50年。

旧下杉橋に比べ新橋の完成は1年遅く、10年ほど長く現役を務めていた。

 

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